1999年にノストラダムスの大預言というのがあった。
まだ記憶に新しい人も多いかもしれない。
その年は連日テレビで、「地球滅亡」とか「2000年問題」とか大人が騒いでいたせいか、
小学生だった私は、よく悪夢をみた。
地球最後の瞬間は空が真っ赤に燃えていて、住んでいた家の屋上からそれを見る。
悪夢のラストシーンは、いつも決まってこのシュチュエーションだった。
翌朝目覚めると、「まだ生きてる」とホッとしたもんだ。
その頃から考えると、2019年が近未来な数字に思えてくる。
当時の私は、映画「マトリックス」にハマっていて、
小学校から直帰、友達と遊ぶ時間を惜しんでDVDに噛り付いた。
VHSテープじゃないから擦り切れはしないが、
本当に大げさじゃなく、擦り切れるほど円盤を回してた。
先日、久しぶりにマトリックスを見たのだが、
あれってAIだったのね、ということに今さらながら気がついた。
そして今見てもやっぱり面白かった。今見るとさらに面白いのかもしれない。
相変わらず動画文化にずぶずぶなのだが、
2019年の私は、からっきし円盤を回さなくなった。映画はデータで見ちゃう。
写真もSSDに保存して、手のひらほどの空間に数千万枚を保管する。
クラウドに保存する人は、その”手のひらサイズ”さえも不要かもしれない。
いろんな物がなくなっていくんだよなぁ、これからはもっと。
そう思うと、私は何を持ちたいのだろう?と思う。
みんなはどんなものを所有したいのだろう?と。
そんなことを考えながら、最近はフィルム一眼レフをわざわざ首に引っ掛けて
家や山や街中をうろついている。
重くて、真っ黒な金属の道具。
クローゼットで幅を利かせるネガの存在感もなかなかだけれど、
私はこれを持っていたい、と思ったわけだった。