まばらに咲く花が池の水面で泳いでる。
すれ違う人の頬も心なしか桜色だなぁ、なんて。
さいきんの東京は随分と春めいてきて、
ハレギをきたお嬢さん方がとても眩しく見えます。
卒業もはじまりの一歩でしょうか。
終着駅は始発でもある、いつかテレビで聞いた言葉が頭に浮かびます。
わたしはお店を辞めてからもブログの更新を続けていて、
monogramのスタッフ日記を書き始めたのは2012年の春のことでした。
そのせいでしょうか。
春になると今まで書いた記事を思い出します。
数えてみると【シガmemo】という名前になってから前回がちょうど50回目でした。
50という数字が多いのか、少ないのかはわかりませんが、
続けているとこういうキリのいい数字にたどり着けるんだなぁと少し感慨深くなります。
そういえば、最近読んだ杉本博司さんの著書の中にこんな言葉がありました。
「アートが今できることは、思い出すことかもしれない、」
地層のように積み重なった時間を遡って見つめることも、未来に対してポジティブなことだなぁと思うのです。
さて、アートと呼ぶには程遠いものですが、記憶喚起装置としての写真が我が家にもいくつかあります。
例えば冷蔵庫にマグネットで貼り付けている写真。
キッチンは1日の多くの時間を過ごす場所だから、見るとやわらくなる写真を。
実家の冷蔵庫にもいろいろな写真が貼ってありました。母も同じ気持ちだったのかな?
台所で熟成した写真の話は、2016.7.11更新の「写真熟成」にて。
それから、夫の書斎の本棚にうやうやしく祀っている写真。
私たちの生存確認のような?証拠写真は、2017.3.24日更新「ツーショット」にエピソードが載っています。
慌ただしい毎日、心に留めておきたいことも流れてしまいがちだけど、
そのたび毎に「思い出す」、そんな機会を数多く持てたらなぁと思います。
1日に何度も見るこの写真たちは、今や”暮らしのお守り”のような存在なのです。